心のレベル。心が歪みそうになっても自分の心と向き合う【小さな成長3149】

癖というのは自分では気づけない。

人を小馬鹿にするのも一種の癖なのだろう。

人を小馬鹿にしている本人は気づいていない。

感というのは当たる時と当たらない時がある。

感は当たらない時もある。

感は当たる時もある。

何か気持ち悪いという感は当たっている。

何かがおかしい。

そういう感は大事にする。

何か変だと感じる人と感じない人がいる。

何も感じない人もいる。

感じることができるかできないかは心のレベルが違うからである。

心のレベルが違う人には分からない。

心のレベルといっても、レベルは、1、2、3、4というような分かりやすい上がり方はしない。

下がったり上がったり曲がったり戻ったり。

心のレベルは直線的には上がらない。

心が歪んだまま終わる人もいる。

心が歪みそうになっても何とかして歪まないようにしながら徐々に上へ上がっていく人もいる。

■小さな成長<3149>
心の歪みと向き合おう。

人に好かれようとしない【小さな成長3014】

人に好かれようとすると疲れる。

自分がやりたいと思うことを素直にやるというのは大事。

人にどうしても好かれようとする。

人に好かれようとすることは長続きしない。

わざわざ嫌われることはないが、好かれることもない。

自分の中でやってみようと思ったことがある。

自分の中でやってみようと思ったことをどんどんやっていく。

何か言われても気にしない。

自分がやりたいと思うことを大事にしていけばいい。

■成長するために<3014>
人に気を使うのはやめよう。

ブラックな企業を辞めブラックな人間と縁を切る。弱い自分からは逃げる。逃げて自分の命を守るんだ【小さな成長3001】

弱い自分からは逃げればいいんだ。

自分が嫌と思うことからは逃げる。

自分の苦手なことからは逃げる。

逃げるが勝ちだ。

ブラックな会社、企業で働くことはない。

ブラックな人間と付き合うことはない。

ブラックな会社、企業を辞めることだ。

ブラックな人間とは、縁を切ることだ。

真面目な人ほど、真面目にブラックな企業やブラックな人間に立ち向かって死ぬ。

自殺に追い込まれる。

うつ病になる。

自殺は、まさに死。

うつ病も、多大な損害を被る。

うつ病は、心身がボロボロである。

うつ病になると、働くことはおろか人とコミュニケーションをとることさえできなくなる可能性がある。

うつ病は、死んではいないが、社会復帰できなくなる可能性がある。

負け戦をして死ぬことはない。

わざわざ死ににブラックな会社へ働きに行く必要はない。

わざわざブラックな人間と付き合いを続けて、死んだような生活を送ることはない。

逃げるが勝ちだ。

死人に口無し。

うつ病者も、口を閉ざす。

死んだ場合は、周りから立派な人だったねと讃えられる。

うつ病で社会復帰できなくなると、周りから壊れていると陰口を叩かれる。

今は、戦(いくさ)はない。

21世紀は、個人にとって社会が戦場である。

会社自体がブラックな会社。

会社にブラックな人間がいる。

近くにブラックな人間がいる。

体に痕の残る暴力は、振るうはずがない。

ブラックな企業やブラックな人間は、言葉の暴力を、さも自分たちが正しいかのように、当然のように振るってくる。

朝から終電までの労働。

能無し、木偶の坊、チビ、デブ、ハゲ、のろま。

皆で、あいつは役に立たないとあざ笑う。

朝から終電まで働き、休日も会社に出て行く。

休みは月に1、2日。

ただのブラック企業だし、労働基準法違反だ。

休みの日も電話がかかってきて、休んだ気がしない。

家に帰ってきても、奴隷のような扱いを受ける。

真面目な人は、できない自分がいけないと思って疑わない。

言葉の暴力は、侮辱罪になる可能性がある。

言葉の暴力は、犯罪になり得る。

しかし、立証が困難。

うつ病になっても、因果関係を立証するのはかなり難しい。

ブラックな会社やブラックな人間は、人を扱き使うのが普通になっている。

ブラックな会社やブラックな人間は、人を侮辱するのが普通になっている。

ブラックな会社やブラックな人間は、世渡りが巧みである。

世間には、いい会社いい人と思われている。

今働いている会社は、こんなに人を扱き使う。

あの人に、こんなことを言われたと人に相談する。

人に相談しても、あんないい会社で働けるのに、あなたは何を贅沢を言っているの。

あの人が、そんなこと言うはずがないと信じてはもらえない。

相談している本人も、そのうち自分がいけないんだと変に納得してしまう。

真面目な人は、自分が侮辱されていることに気づかない。

自殺やうつ病。

企業に殺される。

人に生殺しにされる。

ブラックな企業やブラックな人間に殺される前に、逃げないといけない。

言葉の暴力に対する法整備は、非常に遅れている。

目に見えないから立証が難しい。

訴えても勝てる可能性が低い。

多大な時間と労力を費やしても勝てる可能性が低い。

いくら戦っても自分自身が惨めだし疲弊も甚大。

精神崩壊しては、何のためにこの世に生まれて来たのか。

精神崩壊し精神的におかしくなるために生まれて来たのではない。

ブラックな会社やブラックな人間に、扱き使われるために生まれて来たのではない。

ブラックな企業で働いていることに気づくことだ。

ブラックな人間に気づくことだ。

ブラックな企業を辞めることだ。

ブラックな人間とは縁を切ることだ。

真面目な人は、どうしてもブラックな企業やブラックな人間に磁石のように惹かれてしまう。

自分がいけないんだ。

弱い自分から逃げちゃだめだと。

逃げは負けではない。

逃げて自分の命を守る。

逃げて自分を生かす。

逃げるが勝ちなのだ。

■成長するために<3001>
弱い自分から逃げよう。

大都市東京に覚悟を決めて住む。大都市東京と田舎は世界がまったく違う【小さな成長3000】

大都市東京に住むには、覚悟がいる。

大都市東京で10年20年と生活し、その後田舎で暮らすには、想像もできない覚悟がいる。

最近感じるのは、大都市東京と田舎の格差は拡大するばかりということ。

時代は21世紀。

さらに22世紀へ向け視野を広げる必要がある。

未だにスマートフォンを毛嫌いしている人がいる。

今は、時計にもメガネにもコンタクトレンズにもコンピューターが入る時代。

最近は、スマートフォンを持っているのは時代遅れなんじゃないかと私は感じている。

と言う私も、ようやくスマートフォンで電車の改札を通れるようになった。

今までは、PASMOでしか定期が作れない区間に住んでいた。

無理矢理JRを使えないこともなかったのだが、かなり遠回り。

定期代が毎月2万円を超えるのはつらいかと感じていた。

今は、月2万円以上通勤に使う。

JRに乗るので、モバイルSuicaにできる。

職場の自動販売機も、SuicaとPASMOが使える。

自動販売機でSuica支払いができるので、小銭はいらなくなった。

携帯電話が財布換わりというのは、10年くらい前から言われていたような気がする。

コンビニエンスストアでも、多くの客が電子マネーで支払いをしている。

釣り銭のやり取りがないから速い。

小銭をいちいち財布から取り出すのは、並んでいる後ろの客に迷惑である。

電子マネー専用のセルフレジを、たくさん作ってほしいものだ。

現金使用お断りのコンビニエンスストアがあってもいいんじゃないかと思う。

田舎で電子マネーが使えるのは、コンビニエンスストアくらいか。

田舎では、依然としてガラケーを使っている人が多い。

都会でガラケーを使っていては、かなり不便である。

仕事のやり取りも、今はスマートフォンが当たり前。

ガラケーを使っている人は、仕事にも乗り遅れる。

仕事もろくにできなくなる。

10年くらい前は、メールが間に絡んだ。

今は、すべてネット上で完結するので、メールも必要ない。

スマートフォンがないと、友達付き合いもできなくなる。

待ち合わせは、LINEでやるのが当たり前。

地図アプリで簡単に待ち合わせ場所へ行ける。

東京や大阪で生活して、18年くらいが経った。

大阪は2年くらいだから、ほとんど東京で生活してきた。

大都市暮らしが長くなり、田舎で言葉が通じなくなった。

日本語を話しているのだが、田舎で日本語が通じない。

東京には、田舎者が多い。

地方から出て来た人がたくさんいる。

田舎者が、東京へ出てくるときには覚悟がいる。

覚悟して東京へ出てこないと、大都市には住めないと逃げて田舎へ帰ることになる。

逆に、大都市東京で3年でも7年でも生活することができれば、もう田舎には帰る気がしなくなるだろう。

大都市東京で経験値を上げ、これから田舎に帰って一旗揚げようというときは覚悟がいる。

大都市東京と田舎の差が、想像もつかないくらいにある。

これからどうするかを決めるのは、自分自身である。

■成長するために<3000>
覚悟して、大都市東京に住もう。

敗者の言葉「やっても無駄」。行動力をなくさず挑戦する。無駄かどうかはやってみなければ分からない【小さな成長2999】

自分が挑戦し失敗した。

現実を思い知る。

やっても無駄と諦める。

諦めると行動力がなくなる。

挑戦しなくなる。

行動力をなくさないことだ。

挑戦することだ。

無駄をしないようにしようとすると、行動力がなくなる。

わざわざ無駄なことをすることはないと思うときがある。

「無駄かどうかは、やってみなければ分からない」

約15年前、20代後半の頃、20代前半の女性に言われた言葉である。

無駄かどうかは、やってみなければ分からない。

仕事を一通りこなすと、やっても無駄と感じることがある。

自分がやって失敗した。

失敗の経験があると、やっても無駄と切り捨てる。

その女性に「やっても無駄だよ」と言った。

「無駄かどうかなんて、やってみなければ分からないじゃないですか」

と言い返された。

無駄かどうかは、やってみなければ分からない。

自分の失敗を、人に押しつけてはいけない。

人生を賭ける挑戦をし、戦いに敗れる。

同じ道を辿ろうとする若者に、お前らにできるわけないだろと言う。

私も19歳になろうという年に、40代の敗者に言われた。

「やっても無駄だ」

「お前らにできるわけないだろ」

自分ができなかったことを、若者に偉そうに言ってはいけない。

その40代の敗者は、旧帝国大学で博士までとった成功者である。

博士をとり、さあこれからという段階になり、戦いに敗れた。

自分の才能の無さを思い知る。

現実は、そんなに甘くないということを知る。

上には上の秀才がいる。

信じられない頭脳を持つ天才がいる。

現実を知り、挫折する。

負け組。

負け組、敗者。

敗者のままではいけない。

敗者なら敗者らしくしていることだ。

これからという若者に、戦いに敗れた敗者が分かったようなことを言ってはいけない。

やっても無駄というのは、行動力を失った敗者の言葉なのである。

■成長するために<2999>
20年前敗れたことに、再挑戦しよう。